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ゴルバチョフ


1931年にモスクア南部に位置しているプリボーリエに生まれる。コンバインの運転助手をしていましたが、当時の村の生産高が非常に良かった事によって、労働赤旗勲章を得る機会に恵まれました。労働赤旗勲章を得た事によって、1950年に19歳で当時共産党幹部のやソ連との同盟国からの留学生ばかりで占められていたモスクア大学法学部に入学します。

大学入学後にソ連の共産党に入党しており、イデオロギーでは共産主義者だったと言われています。その一方で現実主義的な面も持ち合わせていて、それが後のペレストロイカに繋がっていったと言われています。その後は、39歳で地元スタヴロポリ地方で書記長を勤めるなど少しずつ地位が上昇して行きます。この時には、集団農園を近代化する事に取り組んでおり、ソ連で初めてのブロイラー生産工場を建設しています。

1985年にソ連で最も権力があった共産党の書記長に就任しています。1990年には、国家をより強力にコントロールする為に大統領に就任しています。18年間も続いたブレジネフ政権によって経済が停滞しており、既にアメリカとの冷戦を維持出来なっていました。1988年にソ連は軍隊をアフガニスタンから撤退しています。アメリカとの間で軍縮を推し進めて冷戦を終結させます。この功労によってノーベル平和賞を受賞しています。

1986年にチェルノブイリ原発事故が発生しており、この時にはゴルバチョフにも正しい情報が伝わらなかったと言われています。伝えられる情報は、嘘などが多く含まれており、ゴルバチョフはこういったソ連の官僚主義などを批判しています。1985年末には、宿敵となっていたモスクア第一書記長のグリシンを解任して、後任としてエリツィンがモスクア第一書記長に選出されました。

スターリンを名指しで批判した最初の人物で「社会主義の発展におけるスターリンを否定する事は出来ないが、彼は同時に多くの人を殺害した犯罪者だ」と共産党大会でスターリンを演説の中で批判しています。レーニンがアヘンとまで言ってそれ以降弾圧されていたロシア正教などの主教に寛容な姿勢を見せており、これは現在のプーチン路線にも繋がっています。

日本大学の名誉博士号を保有しています。
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